2月18日(水) 河津桜

「さくら吹雪」と思っていたら、雪が降っている河津の昨晩のニュースでした。

幸い今日は天気が回復し、横浜で娘と孫と合流して、河津に向かいました。

”キレイ・・・”と分かるようになり、「河津のさくら」を見せたいと思っていました。
川沿いの桜のトンネルを、赤ちゃんの目線に咲いている花を指で触って、喜んで見てい ました。

肌寒い感じでしたが、満開の河津桜を見る花見客で大変混雑していました。

早めにチェックインして、宿から3分ほどの、伊豆大島などの島影が見られる砂浜の河津浜に行きました。
すこし雲がかかっていますが、明日までは天気が良いようです。

宿は駅からも、サクラを見に行くのも3分くらいで、お風呂は温泉でした。

花が咲いている河津桜の苗を記念に貰いました。50センチぐらいに短く切って盛岡まで持ち帰ることにしました。

翌朝は手がかじかむほどの寒さの中、日の出を見に出かけました。
日の出は雲でよく見られませんでしたが、荒波に漁をする舟を見ることができました。


2月19日(木) 下田

1853年、米国提督ペリーが浦賀へ来航し、日本を開国への道を導き、ハリスは初代米国総領事として、玉泉寺に総領事館を開設し、日米通商条約の締結に奔走しました。

ハリスは慣れぬ異国の生活で病の床に臥し、看護役を求めたのに対し、 幕府は妾として、美貌の芸妓“お吉”に大金を与え奉公させた。

その事実を知ったハリスは、激怒して三日で解雇し、お吉は、その後奉公にあがることはなかったという。

唐人お吉は初代アメリカ総領事ハリスの妾として仕え、日米修交の犠牲者として面白くフィクションされたようですが、
外国人に身を任せた女として誹謗,中傷のなか、芸妓として流浪の果て、 下田にもどり、髪結業や小料理屋「安直楼」(あんちょくろう)を営みますが、相も変わらぬ世間の罵声と嘲笑をあびながら、 酒と貧困の中に身をもちくずし、川へ身を投げて自殺しました。

新渡戸稲造は日米修好のために犠牲となったお吉を哀れんで、稲生沢川「お吉が淵」のほとりに、「お吉地蔵」を建て、霊を弔いました。

地蔵の側の説明板に、新渡戸の詠んだ歌が記されています。
"から草の 浮き名の下に 枯れはてし 君がこころは 大和撫子”

盛岡出身の新渡戸稲造と下田の関りを始めて知りました。