師走

プリウスに雪マークが点灯したのは今シーズン初めてで、師走に入って一層寒さを感じます。

英語教室の帰り、画材屋さんへ寄ってイタリア・トスカーナ地方の土色の絵の具「ローシェンナ」や、水彩画用紙を買いました。プリンタインク、写真用紙も今頃届いていると思いますが、年が押し迫る前にそろえておきたいと思っています。

心なしか人も車も多く、 気ぜわしく動きまわっているように感ずるのは気のせいでしょうか?

運動公園の西側のケヤキ並木もいつの間にか紅葉も終わり、枝にしがみついていた枯葉がカサカサと風に吹かれ車道に舞っています。

我が家のテラスには、うすいあめ色になったダイコンが冬の長い日差しをうけてぶら下がっていました。
大晦日に、まだ漬からない辛いタクアンをチョット味わうのが楽しみです。


フェルメール

最高のドライブ日和です。

震災で無料になった東北高速道路は平日とは思われない混雑で、特に大きなずう体いのトラックが我が物顔で走り恐ろしくなります。改修工事もあちこちで行われていますが、間もなく雪の季節というのに心配です。

宮城県美術館の「フェルメールからのラブレター展」に出かけました。

上野の国立博物館を思わせる大きな美術館で、正面玄関付近には駐車できないほどで、フェルメール人気を感じました。

1600年代の風俗や時代を描いた40点のオランダ絵画と、フェルメールの3点の作品が展示されています。

「手紙を読む青衣の女」は修復され世界初公開、ラピスラズリの石を顔料としたウルトラマリンブルーで描かれた青の衣服が見事に美しさを取り戻していました。

「手紙を書く女」は艶やかな貂の毛皮と衣装、光り輝くイヤリングなどは本物を見なければ味わえない美しさでした

「手紙を書く女と召使」手紙を書く女性のそばの召使が所在なげに目を外にやっているさまと、差し込む光の陰影を鮮やかな色彩で見事に表現しています。

光、色、構図の素晴らしい表現は何度見ても飽きません。
43歳の生涯の作品は36点で、そのうち貴重な3点を鑑賞し酔いしれ、満足しました。

併設して、佐藤忠良美術館もありました。

思わず微笑みたくなるような、子供の顔、マント姿などもあります。
宮城県出身で岩手県人作家とも深い交流があったと聞いていますが、オリエ像を見て思い出しましたが女優の佐藤オリエのお父さんです。

今日から始まる光のページェントを見ようと思って遅く出てきましたが、小雨が降り出してきたので早々と帰りました。


忘年会

積もるかな?”と思もった雪もまもなくやみました。
しばらくこの先も降る気配はありませんが、噂によると今年は雪が多いようです。

帽子、マフラー、耳あての完全防備で忘年会に現れたオーストラリア出身の英語のベッキー先生(私たちのアイドル)は日本で4回目の冬を迎えるそうです。

英語を勉強した動機、記憶に残る都市、これから行きたい街など7人それぞれ話しました。
ベッキーは日本語がほとんど理解できますので、もちろんすべて日本語です。
飲んで、食べて2時間余り、楽しい忘年会でした。

盛岡駅までしばらくぶりで夜の町を歩きました。
盛岡のショッピング街はすっかり飲食街となって、派手なつくりの居酒屋が軒を連ねて、明るい灯りでノンベイを誘っています。
でも、月曜日のせいか、不景気のせいか?あまり人通りはありませんでした。
心なしか啄木も師走の風に泣きぬれている?ようでした。

街路樹のナナカマドの赤い実が師走の訪れを知らせていました。


フォトD

フォトDの忘年会はお昼から始まりました。
駅の近くで足の便も良く、23名の参加でした。

挨拶に続き、ビールで乾杯、料理主体で女性に好評でした。

話題はどうしても震災の話になりますが、こうして忘年会ができる私たちは幸せで、申し訳ない気がします。

それぞれに写真撮影の抱負を語り、健康を考え、来年も元気に活動することを誓いました。

帰りは、開運橋から下りて北上川沿いの冬枯れの景色を見ながら、緑多い季節には気が付かなかった、長い板塀、お寺さんの大屋根などの発見がありました。
鉛色の空を覆う黒い大枝の間から雪を頂いた岩手山が見えました。

今年の冬の歩みは本当にノロいようです。


年末ジャンボとタイヤ交換

“日の当たるころ宝くじを買うと当たるよ!”と教えられ2時ごろ公会堂前のチャンスセンターに行きました。
冬の低い陽が桜山神社と東警察署の間から差し込み宝くじ売り場を照らしていました。

次から次に買い求める人が来ていました。連番とバラをそれぞれ3000円ずつ買いましたが、こんなに買ったのは初めてかもしれません。

当たったらどう使おうか?願いを込めて神棚にそなえました。


今日は、今シーズン一番寒い朝で、最高気温も1℃なかったようです。

いよいよ来るなと思って、鼻水を垂らしながらタイヤ交換をしました。
毎年妻の車と2代交換しますが、妻はディラーで交換してもらったのでその分楽をしました。
終わったころ粉雪が降り出し、“やってよかった”とホットしました。

宝くじを買って、タイヤ交換をして、秋じまいも終わって、 師走の仕事はあと何が残っているか考えています。


名古屋

FDA

花巻・名古屋間が定期航空路線になって初めてFDAに乗りました。
パープルの綺麗な外観、思ったより機内もゆったりし、ジェット音も静かなコンパクトな機材でした。

84人の定員はほぼ満席で、お茶、コーヒーやお茶菓子は笑顔の美しい若い女性のキャビンアテンダントがサービスしてくれました。

家から車で出て、駐車場に置いて、定刻70分で名古屋小牧空港に到着、長距離を感じさせない便利さを痛感しました。

夕食はウナギを使った名古屋の郷土料理「ひつまぶし」を食べました。
ウナギの蒲焼を細かく刻み、ご飯にまぶして小ぶりなおひつで出され、そのまま食べる、昆布だしと薬味でお茶漬けにして、薬味をかける、3つの異なる食べ方で楽しみました。
蒸さずにそのまま焼き上げ、脂ののった柔らかい香ばしい皮と身のかば焼きが絶品でした。

明日は早くスタートし、中山道の宿場をまわって下呂温泉まで行きますので早めに休みます。


馬籠宿・妻籠宿

香積寺こうじゃくじの11代住職が飯盛山一帯に楓を植えたのが「香嵐渓」の始まりで、現在では4000本のモミジがあるといわれる東海随一の紅葉の名所です。しかし、紅葉の盛りは過ぎ、冬の日差しが残り少ない葉を透かし、風に揺れて輝いていました。

福沢諭吉の娘婿の福沢桃助は大同電力社長(関西電力の前身)として、木曽川の流れをせき止め、日本最初の大井ダム水力発電所を建設しました。
「恵那峡」は木曽川をせき止めて造られた人造湖で、自然と人工の調和の美しい景観をジェット船で楽しみました。

中央自動車道からICを下りると、南アルプスが連なり、ひときわ大きく見える雪を頂いた恵那山、遠くには雲に隠れ裾野だけの御嶽山が望まれ、その昔はさぞ奥深い山の中と思われる中津川市でした。

岐阜県中津川市にある馬籠宿は江戸・日本橋から中山道の83里に位置し43番の宿場町です。
峠から斜面に沿って600m余りの石畳の坂道に民宿、おみやげ店が軒を連ねています。
島崎藤村の故郷で陣屋跡には「藤村記念館」もあり江戸の面影を残していますが、すべて明治の大火で焼失し、その後復元されたものなそうです。

さらに、バスで30分ほどの妻籠宿は長野県にある42番目の宿場町です。
木曽路11宿の中でもとりわけ江戸時代の面影を色濃く残し、一歩町に踏み入るとタイムスリップしたような錯覚になります。

今夜の宿は、有馬、草津などとともに三名泉に数えられる岐阜県の下呂温泉です。
山の傾斜に沿って建てられ、ケーブルカーのようなエレベータに乗る大きな近代的なホテルでした。

温泉で疲れを癒し、夕食はバイキングで松葉ガニが食べ放題、しばらくかぶりついていました。
美味しそうなお料理はその他にも沢山ありましたが、カニに満足しビールすらあまり入りませんでした。

周囲を見回すと、Xmasツリーなどのデコレーションが輝き、女性シンガーのXmasソングのメドレーが流れています。
忌まわしい震災の一年も間もなく終わろうとしていることが頭をよぎりました。


湖東三山

飛騨川が浸食されてできた渓谷の名勝地「中山七里」沿いの41号線を走り、名神高速道路に入りました。
木曽川、長良川、揖斐川いびがわを渡り、養老、関ケ原、伊吹そして彦根城を遠くに見て琵琶湖の東に入りました。

紅葉狩りは過ぎスムーズに移動でき、これから琵琶湖の東、鈴鹿山脈西山腹にある湖東三山古刹めぐりです。

西明寺さいみょうじの本堂へ続く石段の両側の僧坊跡の石垣は苔むし、わずかに残る紅葉と樹齢250年の不断桜が見られました。

800年前半に創建され、織田信長の焼け打ちにあいましたが、幸い国宝の本堂と、改修中の三重塔は難から免れ、古刹の趣を今に残しています。

金剛輪寺こんごうりんじは天下泰平の祈願所として741年に創建されました。

総門(黒門)から石畳の参道には千体ものお地蔵さんが並び、境内の入口の二天門には七難を払うご利益がある大きなわらじが下げられています。
元寇の乱の戦勝記念に建立された本堂、三重塔は国宝で、本堂脇の血染めのモミジは残念ながら見ることはできませんでした。

百済寺ひゃくさいじは三山の中で最も古く聖徳太子により百済人のために創建され、百済の僧が住職を勤めたことが名前の由来になっています。
しかし、度重なる戦火で焼失し、現在の本堂、仁王門は江戸初期に再建されたものですが、今なお、1400年の歴史の重みを感じさせます。
「天下眺望の名園」は池泉回遊式で、紅葉が終わった冬の庭を、サザンカが華やかに彩っていました。


湖東三山に共通することは
・天台宗であり総本山比叡山延暦寺よりも古い。
・織田信長により焼打ちにあっている。
・本堂まで長い石段の参道である。
・僧坊跡があり、多数の僧兵がいた。
・モミジなどの見事な庭園がある。
など思いつきましたが、その他にも在るかもしれません。



2時過ぎに京都市内に入り、嵐山の天龍寺付近を1時間ほどぶらつきました。
白い漆喰の寺院の間から見える少し茶色がかったモミジもまた綺麗でした。
「まだ綺麗なところがあるよ!」と地元の人の勧めで行ってみました。宝厳院ほうごんいんでいま盛りと思うほど?でした。
ここも、渡月橋も、お土産店も、シーズンオフ?でも修学旅行生や観光客で大変賑わっていました。



名城公園

午前中、名城公園を見学しました。
名古屋は何度も来ていますがまぢかに名古屋城を見るのは初めてです。
本丸御殿の復元工事が、民間の支援で平成21年から平成30年完成で行われています。その規模は中部圏の持つ文化力、経済力の強さを痛感させます。
金色に輝く一対のシャチはこのお城のシンボルです。
5層7階建ての天守閣の展望室から名古屋の街を見て、各階に展示されている現存するお宝、戦災で焼失したお宝の写真、その時代の庶民の生活、シャチのレプリカなどを見学しました。

最終日は一番良い天気に恵まれ、ピンクカラーのジェットは快適でした。
窓からは秀峰富士山を間近に見ることが出来ました。
一府六県を短時間で廻った旅も無事終了。
花巻までは一時間、定刻1時30分到着しました。


フォトD撮影会

今年最後のフォトDの撮影会がありました。

時折小雪が舞う寒い日でしたので何人来るのかな?と思っていましたが13名集まって、八幡さまから、10余りの寺院、町屋のある鉈屋町を寒さを吹き飛ばすように駆け足で撮影してまわりました。

初めは、手袋をしてもかじかんでいた指もいつの間にか暖かくなり、力強く押せるようになりました。

皆で撮影して歩くといろいろな発見がありました。

山門に禁葷酒きんくんしゅと彫られた石碑が数カ所のお寺にありました。
お酒を禁ずるということは分かりますが「葷」の意味が分かりませんでした。
帰ってから調べるとニラやニンクの臭いの強いもので酒を飲んで山門に入るのを禁ずると意味なようでした。

久昌寺の山門には「昇り龍」「下り龍」の一対の彫刻があり、下り龍は「天から舞い降り地上の守り神」の意味なようです。

今年の撮影会も今回で終わりです。


Xmas リサイタル

朝起きると真白くなっていました。
数センチですが今シーズン初めてです。

リッチ先生は赤い帽子で現れました。
今日が最後のレッスンで、ピザと飲み物で、リッチ先生のリサイタルです。

先生のギターの伴奏で、“Silent Night”、“Jingle Bells”を、
聞き慣れない単語を説明してもらいながら、久しぶりに歌いました。

馴染みある“アルファンブラの思いで”、“ホテル カルフォルニア”の弾き語りに魅了されました。
最後に、今年覚えたという“上を向いて歩こう”をみんなで歌ってリサイタルは終わりました。

クリスマスの飾り付けがされた町は白い雪が降り続いていました。
予報通りクリスマス寒波の襲来のようです。


ジィジとバァバのXmas Eve

クリスマス・イブは土曜日と重なって町は車で渋滞していました。

妻にファーのマフラーをプレゼントし、シルクのマフラーをもらいましたが、倍も違うので、もう一本買ってもらいました。

ケーキ屋さんにはショートケーキが4個残っていただけで、2個買って来ました。

「行ってくるョ!」と6時40分ごろ娘からメールがありました。
孫に「おじいちゃん、おばあちゃんも行きたいな!」と言うと「家族だけ!」とアッサリと断られました。
妻は「行きたかったのに」とまだあきらめきれないようですが、「何時でも行けるから、あとでゆっくり行こう」と慰めています。
「どうしてジィジとバァバは二人きりなの?」本当に「家族」って分かっているのか?と思っています。

雪でうっすら白くなって、薄暗くなった我が家の出窓には、イルミネーションがキラキラ輝いていました。

ジィジとバァバは旅の安全を祈って、ささやかにワインで乾杯しました。


風邪ひき

寒波襲来したクリスマスは雪はさほど降りませんが連日の真冬日でした。

妻が次男に「オイルヒーターを買ってやるョ!」とメールすると、皆風邪を引いて、孫はミルクも、食べ物も吐いているという。

25日になって、今度は妻が風邪で一日中吐いて寝込んでしまいました。
次男から電話があって、妻に代わってストーブを買ってやりました。
孫を抱くと可哀そうに1週間前に比べハッキリ分かるほど軽くなっていましたが、これで夜も暖かく休めて安心です。

今度は私が、夜から下痢をして、寝汗をかいて、風邪を引いたようですが、幸い寝込むほどにはならずに、今日は元気になりました。

横浜の孫の誕生日祝いの絵を描き終えてホッとしたのかもしれませんが、あまり押し迫っからひかなくて幸いでした。


明日を信じて

新しい年を迎える今年最後の日、しかし何年分ものズッシリ重いツカエを残して過ぎ去ろうとしているような気がします。

夕焼けに染まった空も間もなく日が沈みますが、日が一日毎に長くなるように、日々明るくなる未来を信じて、前向きに進みたいと思います。

残念ながら、日の当たるところで買った宝くじは300円が3枚当たっただけでした。
買っていればいつかは当たることを信じたいと思います。

今年も大変有難うございました。

来年もよろしくお願いします。


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