酒田

山居倉庫

塩害から漆喰の土蔵を守る覆屋

山居倉庫

雨水の防火用水と二重屋根

山居倉庫

三角の屋根瓦が12棟連なる倉庫

山居倉庫

ケヤキの並木が美しい山居倉庫

梅雨末期の集中豪雨が心配だったが、南に行くにつれ空は次第に明るくなり、4時間かかった酒田はジリジリと夏の日が輝いていた。
妻と友人の3人旅の大きな目的は、酒田の加茂水族館のクラゲ展示の見学と銀山温泉に泊まることだ。

よく絵や写真で目にする山居さんきょ倉庫は、旧藩主酒井家が明治26年建造してから120年になり、現在もコメ倉庫として12棟が使われていた。真夏の日当たりでうだるような暑さでも、西側の黒い木の外壁の倉庫群とケヤキ並木には爽やかな風が通りウソのように涼しい。黒い外壁は漆喰の土蔵を海風から守るための覆屋で、ケヤキの並木は日よけ,風除けのためで、雨水は樋で桶に集められ防火用水に、二重屋根による断熱構造、土間はニガリで練り固めた上に塩を敷き倉庫内の温度を一定に保つなど数々の先人の知恵によるものだった。

旧鐙屋

石置杉皮葺屋根

旧鐙屋

土間に座敷・板の間が並ぶ

旧鐙屋

ニガリで固められた土間

旧鐙屋きゅうあぶみや・・・日本海側で最も繁栄した廻船問屋。
10間あまりの通り庭(土間)に帳場、座敷、板の間が並び、石置杉皮葺屋根が特徴の質素、堅牢な商家造り。
神社仏閣・武家以外は瓦の使用が許されなく、耐火性、強い風から杉皮を守るために石を置いた。土間はニガリで固められ、今でも塩水を毎朝まいているそうです。

本間家旧本邸

医薬門と樹齢400年の門かぶのりの松

本間家旧本邸

二千石の格式の長屋門

本間家旧本邸

本間家の提灯

本間家旧本邸・・・日本一の地主で豪商の本間家は商人でありながら武士の身分を併せ持っていた。
本間家旧本邸は武家と商家と合わせ持つ珍しい建築様式で、2千石の格式を持つ長屋門と通常家族が出入りする医薬門からなる。本間家の礎をなした三代・光丘(みつおか)は藩政に参画し財政再建し、私財を投じて酒田発展のために防風林、灌漑などのインフラの整備に当たり、「公益の祖」として信頼が厚かったようです。
「本間様には及びはせぬが、せめてなりたや殿さまに」の歌には光丘の経営と公益の両立の称賛であったような気がする。

加茂水族館

入場数の変遷

加茂水族館

26年OPENの新水族館

加茂水族館

加茂水族館全景

加茂水族館・・・1999年頃からクラゲの展示を始め、2005年には30種類以上の世界一の展示数になり、2008年下村博士のノーベル化学賞受賞から一躍有名になった加茂水族館は来年夏新館に生まれ変わるようだ。

加茂水族館

ノーベル賞のきっかけのオワンクラゲ

加茂水族館

食用になるビゼンクラゲ

加茂水族館

日本近海で一般的なミズクラゲ

日本周辺で最も一般的な「ミズクラゲ」は白と青のコントラストが綺麗です。一般的に食用となるのは「エチゼンクラゲ」「ビゼンクラゲ」なそうです。
「オワンクラゲ」は日本近海各地に見られ、オワン形をして、傘の縁に緑色蛍光タンパク質(GFP)の発光がハッキリ見れる。下村博士が発見したGFPはマーカーとしての特性に優れ、例えばがん細胞が体内でどう広がるか見ることが出来る画期的なものであった。海中にフワフワ浮遊する取り柄の無さそうなクラゲがノーベル賞の切っ掛けになったことに驚きました。開館したらまたゆっくり見学したいと思っています。

湯の浜温泉

松葉ガニのお膳に満足

湯の浜温泉

白浜と打ち寄せる波

今晩の宿は湯の浜温泉で海岸に最も近く、白浜が長く続き、打ち寄せる日本海の荒波が間近見え、海音が絶え間なく聞こえた。
松葉ガニのお膳と、生ビール、お銚子一本に酔って9時前に寝てしまった。
初日は、不思議なくらい雨に合わずに最高の旅になった。


鶴岡・羽黒山・銀山温泉

鶴岡タウンキャンパス

ガラス張りの近代建築の鶴岡タウンキャンパス

致道博物館

国指定文化財・旧西田川郡役所

善法寺

五重の塔もある1100年の古刹

湯野浜海岸

湯野浜海岸はサーフィンの発祥地

6時に展望露天風呂へ行ったが、立っていられないほどの強風にビックリして内湯に入った。ホテルでは気にもしていない様子で、海では多くのサーファーが荒れ狂う波に乗ってサーフィンをしていた。

ホテルを出ると間もなく五重の塔が見えた。何やら古刹らしき風情、1100年以前に開祖、海の守護神を祀り全国から信仰を集めていると言う善宝寺。山門、極彩色の羅漢の五百羅漢堂や本堂などいずれも歴史ある重厚な建物、思わぬ名刹を拝観できた。

酒井藩主の居城・鶴岡城は何重にも濠がある平城、城址付近には由緒ある建築物が点在していた。
国指定文化財・旧西田川郡役所、生田緑地でも見た羽殿山の山麓の多層住宅などの歴史的建築物を移築した致道博物館ちどうはくぶつかん
赤いドームのひときわ目立つ白い西洋建築は郷土の偉人の資料を展示する大宝館
ガラス張りの大きな近代建築は市民ホールと思ったが、慶応大学、鶴岡市、東北公益文化大学の3者が共同運営する先端研究施設鶴岡タウンキャンパスなそうだ。


釈迦堂

数寄屋造りの建物とお庭が美しい

丙申堂

「蝉しぐれ」の撮影に使われた小座敷

丙申堂

19室、180畳の和室と板の間

風間家は越後の武士から、商人となり鶴岡に移住、庄内藩の御用商人として繁栄し、明治期には金融業に転じ、明治29年丙申の年に建てられた住宅兼店舗が旧風間家住宅丙申堂へいしんどう。19室、180畳の和室と太い大黒柱のある大きな板の間があり、藤沢修平の「蝉しぐれ」の撮影に使われたという庭に面した飾り棚の襖絵が美しい落ち着いた小座敷があった。近くにある丙申堂の別邸・釈迦堂の上座敷の床の間には釈迦像が安置され、聖徳太子十七条憲法の書が掛けられ信仰の深さを伺われた。数寄屋造りの開放的な座敷から見渡す芝生の前庭、池、築山と奥に広がる庭園が素晴らしい。

爺杉と五重の塔

爺杉と国宝・五重の塔

祓川と神橋

祓川にかかる赤い欄干の神橋

石段とスギ並木

小雨に煙るスギ並木が神秘的

随身門

出羽三山の表玄関の随神門

心配した雨がとうとう降り出し、羽黒山の宿坊付近はどしゃ降りだった。出羽三山の表玄関・随身門に到着したときは小降りになって、ここから始まる羽黒山のスギ並木の石段を滑らないように気を付けながら一段一段下りた。しばらくすると月山を源流とする祓川にかかる赤い欄干の神橋と須賀の滝に出た。かってはここで身を清めて三山への修験道の出発点だった。 間もなく高さ30m、樹齢1000年の大杉・爺杉があり、杉の木立の間にヒッソリ立つ国宝・五重の塔が見えた。平将門が創建し、現存のものも600年風雨にさらされ苔むし、なお凛とした佇まいに深く感動した。ここからさらに2000段以上の石段を上って山頂を目指すが、車で向かうことにした。

銀山温泉の宿

木造4階建て大正ロマン漂う宿

銀山温泉

ガス灯がともる銀山温泉街

三神合祭殿

朱の漆塗りの三神合祭殿

414mの山頂には、月山、羽黒山、湯殿山の三神を合祭した三神合祭殿がある。あいにく霧が深い上に改修中のためよく見えなかったが、かすかに見える姿がかえって神秘的で荘厳な感じだった。

今晩の宿の銀山温泉には7時少し前に着いた。思った通り、明かりが灯りどこか懐かしい感じがする温泉街だった。


銀山温泉・立石寺

銀山温泉

帰るお客

銀山温泉

見送る女将

銀山温泉

強い雨で出発を遅らせて

大正、昭和の初めに建てられた3,4階の木造の銀山温泉の町並みはノスタルジックな風情に彩られている。

昨夜から降り出した雨がひさしを打つ音を聞きながら、女将さんが傘を差しだしお見送り、仲居さんの出勤、楽しい思い出を沢山積めて帰る人々をしばらくながめていた。

山寺立石寺

1015段の石段を登って

山寺立石寺

登山口山門

山寺立石寺

松尾芭蕉の像と歌碑

山寺立石寺

根本中道

山寺立石寺は慈覚大師が860年に創建した天台宗のお山。登山口を登って正面の大きな建物は根本中堂で1200年途絶える事なく守り続けられている不滅の法灯がある。
閑さや岩にしみ入る蝉の声…7月13日弟子の曽良とともに訪れたようだが、今日は蝉の声が聞かれなかった。
立派な山門を通って奥之院まで1015段の石段で、多くの石碑、石仏やお堂、穴の中で修業したという岩場、ようやく歩けるほどの隙間の四寸道など、足元を気を付けないと踏み外すようなところもあった。
邪心を持つ人を通さないように仁王さまが睨んでいる仁王門にたどり着いた。その時雨が降り出したが邪心のある人が通ったのか?
岩の上の赤い小さなお堂は山内で最も古い、写経を納める納経堂。開山堂の横を登った五大堂の舞台からは雨上がりの霧が立ち上がる山々、一本道に並ぶ家々が良くみられる絶景ポイントだった。
奥之院に着いたとき1時間たっていた。

山寺立石寺

奥之院

山寺立石寺

山寺随一の展望台

山寺立石寺

経堂と開山堂

山寺立石寺

仁王像を安置した仁王門


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